作成者別アーカイブ: やつがたけ

やつがたけ について

東日本に住む社畜です。

獅子頭共用泉

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横浜市某所の獅子頭共用泉

ライオンの形をしていて市内にいくつかあるらしい。(レプリカなのか実物なのかは忘れました。)

横浜に水道が開通した明治20年にヘンリー・スペンサー・パーマー氏が英国から600基取り寄せたとのこと。

河川の痕跡をたどる

やつがたけです。
今回は横浜市磯子区を流れていた「禅馬川」の痕跡をたどるべく歩いたので紹介する。
なおすべてを歩くことは不可能だったので今回は一部のみを紹介したい。

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この辺りを流れていたらしく道は歩行者用となっている。
沿道には住宅が立ち並んでいる。

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竹の橋跡
碑だけが現在は残っていて欄干などは残っていなかった。
かつては欄干が残っていたようだがいつの間に撤去されてしまったのだろうか。

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河川への不法投棄を辞めるよう呼びかける標識?

住宅の中にひっそりとたたずんでいるだけでこの程度にしか河川があったことはわからなかった。

ありがとうございました。
今回は一部分のみの紹介となりましたが日を改めて再度調査したいと思います。

陰日向の小さな小さなモノレール Vol.3 東京の秘境、桧原村のモノレールを訪ねる

小型簡易モノレール。本来はミカン畑などでの作業効率化のため開発された農機であったが、その軽便さや登坂能力、コストや一定の互換性があることから、様々な場所に応用され、旧来の林鉄や構内軌道、農業用・倉庫用トロッコ、作業用索道なども置き換える勢いとなっている。はや登場から数十年。多ジャンルに普及しつつあるが愛好者や趣味の目が向けられなかった産業用モノレール。現役線から廃線まで、貨物線あり旅客線あり…一度ふたを開けてみると、そこには軌道系のほかのジャンルにも負けないディープな世界が広がっていた…

やつがたけです。

昨今、東京にある桧原村の蜜柑山モノレールに行ってまいりましたので報告いたします。

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まずは小林家住宅へ向かう路線。

これは小林家住宅の入口の駐車場にあった看板。

ここにモノレールに乗って向かうことになる。

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先頭についた機関車に客車のようなものがけん引されていくらしい。

運転手の方によれば最大傾斜角度は41度程度とのこと。

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真ん中にラックレール(のようなもの)がついており、横に車輪の乗るレールがついているようだ。

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エンジンの全容、簡素に見える。

実際に山を登っていく。かなり急斜面である。

道中には「六合目」といった看板があった。実際何合目まであるかは忘れた。

15分程度(?)で小林家住宅に到着。

実際の小林家住宅。かやぶき屋根の古民家である。中ではこの家の解説や野菜が売られていた。

ほかの地域にもこのようなラックモノレールがあったが利用はしなかった。線名は忘れてしまったのでまた次回に行きたいと思う。

いかがでしたでしょうか。今回は沙割程度の見学しかできなかったので細かい調査はまたの機会に行いたいと思います。ご覧いただきましてありがとうございました。

国後の見える町、標津に行く。

こんにちは、やつがたけです。今回また新たに日本最果ての地の一環として、北海道オホーツク海に面した国後島の見える町、標津町に行ってまいりましたのでご報告いたします。

 

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標津町へのアクセスは何通りかあるが、今回筆者は標茶駅よりバスに揺られること2時間。

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西春別、中標津バスターミナル、川北を経て標津バスターミナルに到着。

バスターミナルというものの思ったよりは小さかった。

標津の街はここからスタートとなる。

IMG_3082IMG_2901←参考までの根室市の青看。ロシア語が併記されている。

標津町の青看。

根室市と違いロシア語での表記は見られなかった。

IMG_3103IMG_2896←根室市の交差点。根室ではここでもロシア語表記が見られる。

交差点でもロシア語の表記は見られなかった。

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役場の表記、ここでもロシア語の表記は見られなかった。

バスの中から見た病院にはロシア語の表記はあったのだが、街中の標識には見られない。

根室と異なり、国境がすぐ近くにあることをうかがわせない。

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標津線、根室標津駅の跡地らしいが、雪に埋もれていてただの空き地にしか見えなかった。

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根室標津駅の転車台跡地があるようなので行ってみる。

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祠があった。SLの形をしていた。

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C11の224号機が転車台と共に保存されていた。

すぐそばに掲示されていたチラシ?によれば体験乗車会ができるらしい。

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腕木式信号機があった。これは稼働するのだろうか?確かではない。

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C11の後面、線路の所だけ除雪されていた。

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国後島の見える駅の看板。

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どうやら標津町のみどころ30選のようだ。

横にはC11の説明書きもあるし、この転車台についての説明書きもあった。

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ワムハチらしき貨物の廃車体があった。

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個人所有なのかわからないがバスの廃車体が雪の隙間から顔をのぞかせていた。

バスの会社名や詳しいことはわからなかった。

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標津町にも北方領土館がある。

入館料は無料とのことで入ることにした。

というより標津に来たならここに行かなきゃ損ともいえる。

ここでは北方領土の日本統治時代の写真と歴史、北方領土の位置関係などが展示されている。

2回には無料の双眼鏡がある。

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北方領土館2階より

船の奥に見える島が国後島である。(24キロほど離れている)

思ったより小さかった。

天候により見えないこともある。(この後すぐに見えなくなった。)

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300ミリのレンズを使って撮影した国後島。

根室市の北方館で見た映像にて放映されたインタビューでの男性が語っていた通り、山影だけは見えるが様子まではわからない。

Wikipediaによれば見えているのは国後島の「泊村」らしいが集落はおろか建物すら見当たらない。

ロシアの国境警備隊もおらず、国境という雰囲気は何も感じられなかった。

ただ国後島の姿ははっきりと見えた。

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(若干傾ているが)「海の公園」という公園から見た国後島。

とりあえず国後が近いということまではわかった。

標津といえば鮭が有名だが食堂で鮭定食を食べただけで「サーモンパーク」などを見る時間はなかったので今回は割愛する。

他にもこの町には見どころがあるが、時間も時間なので温泉だけ入って帰ることとする。

こうして筆者は2時間ほどかけて標茶へと帰っていった。

まとめ。

標津から国後までは近いことが分かった。鮭といった水産物も豊富で食べ物もおいしいのでぜひ訪れてみるといいだろう。

秩父鉱山 後山鉱山跡~2020.11.14

大変遅くなりました。

秩父鉱山の後山鉱山に昨年行ってきたのでここに記す。
車にて中津川バス停付近の駐車場に車を停め、歩き出した。

とりあえず脇道より山を登っていく

道中にこんなのが落ちていた。

トロッコの残骸だろうか?

何か崩れていた。レールやトロッコ?と思われるものが混じっている。

写真はないが険しい道を上がっていくとこんなのがあった。廃線跡?のようだ。
どうやらここが後山鉱山跡らしい。

別角度より撮影。転轍機のようなものが置いてある。
ここから何か路線が分かれていたのだろうか?

レールが横たわっていた。

レールと何かのパイプが置いてあった。
資材置き場的な感じで使っていたのだろうか?

碍子が散らばっていた。

走っているレール

カーブしている。ここをトロッコが走っていたのは間違いない。

小屋があった。

戸が開いている

小屋の中を覗いてみる。作業場だろうか?
荒廃しているが何かブリキ缶のようなものが落ちているのが確認できる。

線路が崖に向かって伸びていた。ここが終点だったのだろうか?

何か落ちていた。トロッコだろうか?

下にも落ちていた台車のようなものがここにもあった。

茶碗だ。このあたりに集落があったわけではなさそうだし、工夫が使っていたのだろうか?宿泊所のようなものがあったのかもしれない。

滑車のようなものが落ちていた。

そろそろ日没の時間が近づいてきたので山を下りることにした。道中なかなかに険しい道なので訪れる際は細心の注意を払いたい。
また道もわかりにくいので遭難には十分注意する必要があるだろう。

後山鉱山のレポは以上だ。
少なくともこの場所で鉱山が営まれていたのは事実だろうし、すたれた山小屋は作業小屋か何かだろうが確かな証拠はないので何とも言えない。割れた茶碗はおそらく工夫の宿泊施設的な何かだと勝手ながら推測している。転轍機があったりするからにはトロッコの要衝的な場所だったのかもしれない。何かまた手掛かりがあれば逐次発表なりしていきたい。

ありがとうございました。

異国に占領された島の見える最東端の岬…納沙布岬に行く!

日本の最果てを探る!

山頂、到達困難地、離島、国境地帯…

日本にも、海外にも負けない人里離れた到達困難地や、僻地感を感じられる風景、東西南北の端っこ、真逆の人里離れた地理・地質学的な中心部、島国なのに身近にある国境を感じられる場所などなど「最果て」と呼ぶべき場所がある。

そんな場所を巡り、当ブログメンバーで、その土地の物語~絶景、自然史、歴史、そして文化と風土~を掘り下げることにした。

今回は弊サイトメンバーのやつがたけがかの有名なの岬、納沙布岬を紹介しよう。

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根室駅よりバスで約45分、納沙布岬に到着。

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まず最初に北方領土資料館が出現する。

中では北方領土のかつての写真等の展示のほか、かつての島民の話などがビデオ上映されていた。

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いくつかの北方領土返還を求めるオブジェが設置されていた。納沙布岬はもとより根室市内ではいたるところで「返せ!北方領土」の文言がうかがえる。

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路面にもこういった文言が書かれていて島の位置関係まで表示されている。

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納沙布岬灯台。日本最東端の灯台だ。

中に入ることはできなかった。また、wikipediaによればロシア船が沖合で座礁し放置されているらしいが見落としてしまったのか見ることができなかった。

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道中にも北方領土返還を願うオブジェが。

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説明の看板。

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灯台より少し離れたところに置かれていた船、なんだろう?

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四島の架け橋というオブジェ、下では火がともされている。

当初は24時間ともされていたが今は北方館(後述)の閉館時間、17時になると消される。

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岬の奥に見える島、歯舞群島の中の萌茂尻島である、奥に見えるのは同じ歯舞群島の秋勇留島と思われる。

こんなにも目と鼻の先にあるにもかかわらずロシアの占領下にある。

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萌茂尻島をアップ、船が止まっているのがわかる。

(wikipediaによれば捨てられているらしい)

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秋勇留島と思われる島をアップしてみた。建物があるが詳細不明だ。

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貝殻島灯台。劣化により傾いているらしい。

ロシアの実効支配下にあるため日本が保守、点検が不可能なようだ。

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水晶島、ロシア国境軍や水産加工会社の従業員が常駐しているらしい。赤い屋根の建物があるがロシア正教会だろうか…?

灯台らしきものもありその近くの建物はわからないが水産加工会社か…?

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北方領土資料館とは別にある北方館、2階には無料の双眼鏡が設置されており、北方領土を間近に見ることができる。

双眼鏡にはボタンがついており、島の解説が聞ける。

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水晶島の前を船が航行していた、双眼鏡で見るとロシア語とロシア国旗が書かれていた。

ロシアの警備艇らしく目の前の島がロシアに占領されていることを強く実感させる。

今回取り上げた納沙布岬、そこからは歯舞群島をはじめ北方領土が間近に見られる。

歯舞群島は面白いことにロシア語でも「ハボマイ諸島(Острова Хабомаи)」らしい。

一日も早く返還を願う北方領土、それを間近で見ればその島の近さを実感できるだろう。